前奏




讃美歌21 303



(前奏)

1.
丘の上の 主の十字架
苦しみのしるしよ。
ひとの罪を 主は身に負い
与えたもう、いのちを。

 世の栄え うちすて
 十字架にすがりて
 ひとすじにわれゆかん、
 み救いに入るまで。

2.
世のひとびと あざけるとも
十字架はしたわし、
小羊なる 神のみ子の
苦しみを思えば。

 世の栄え うちすて
 十字架にすがりて
 ひとすじにわれゆかん、
 み救いに入るまで。

3.
あらけずりの 主の十字架、
かぎりなくとうとし。
われを赦し、きよくするは
ただ主の血しおのみ。

 世の栄え うちすて
 十字架にすがりて
 ひとすじにわれゆかん、
 み救いに入るまで。

(間奏)

4.
悩みも死も なにかはあらん、
苦しみもいとわじ。
さかえの朝 待ちわびつつ
にないゆかん、十字架を。

 世の栄え うちすて
 十字架にすがりて
 ひとすじにわれゆかん、
 み救いに入るまで。

アーメン。



旧約聖書 エゼキエル書37章1-14節


1 主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。
2 主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。
3 そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」
4 そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
5 これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。
6 わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」
7 わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。
8 わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。
9 主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」
10 わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。
11 主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。
12 それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。
13 わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。
14 また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる」と主は言われる。
(新共同訳)



新約聖書 コロサイの信徒への手紙3章1-4節


1 さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
2 上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。
3 あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。
4 あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。
(新共同訳)


祈祷


 御在天の父なる御神、ここに集うわたしたちを主が一人ひとりこの葬儀に呼び集めてくださったことに感謝します。本日の説教は、伊藤兄弟のダイイングメッセージであります。語るものも聴く者も、どうか、聖書に御言葉を聞いて、あなたの救いと平安を与えてくださいますように。また、本日、事情があって葬儀に参列できなかった方々をも覚えます。主が、その者たちを祝し、等しい恵みをもって、聖霊の御手を置いてくださいますように。主イエス・キリストの御名によってお願い致します。アーメン。



讃美歌21 571



(前奏)

1.
いつわりの世に 別れを告げん。
罪と不正を われは憎む。
仕えし者に むくいて主は
住まわせたもう、永遠の国に。

2.
神の子イェスよ、教えたまえ。
いかに苦しみ しのぶべきか。
弱き心を 支え強め、
平和のうちに 逝かせたまえ。

3.
つねにかわらず 主の十字架は
輝き照らす、わが心を。
悩みのときの なぐさめなる
主イェスのみ顔 示したまえ。

4.
苦しみ悩み 主はしりぞけ、
み力もて われを強め、
恵みのうちに わがたましい
主はふところに いだきたもう。


(間奏)

5.
とうとき主イェスよ、今、わが名を
いのちの書に しるしたまえ。
主イェスの愛に むすばれつつ
われは憩わん、主の国にて。

アーメン。



説教 「人生の目的」

1. 信仰のない人の人生のむなしさ


 現代日本の哲学者とも言える五木寛之の著書に、その名もずばり『人生の目的』という本があります。わたしはそれを本屋で立ち読みしたことしかありませんが、数百ページにわたる文章の中で、結論として述べられていることは「人生に目的は無い。もしあるとするならば、人生の目的は人生の目的を見つけることにある」というものでした。わたしはそれを読んで、買うほどの価値のある本ではないと思って立ち去りました。何とむなしい蒟蒻問答的な答えなのでしょうか。哲学者ニーチェが「神は死んだ」と言った19世紀から、20世紀、そして今日の21世紀の世にあって、神を見失った時代に生きる人々は、このむなしい人生を生き、人生の目的を見失っているのです。
 19世紀、フランスの詩人、ボードレールが書いた散文詩、『パリの憂愁』という詩集に描かれたデカダンス、退廃もまた、今日のむなしさを先駆けて記されているものと捕らえてよいでしょう。詩集『パリの憂愁』には、五十篇の詩が記されていますが、その33番に「酔え」という詩があります。福永武彦の訳によって、その詩を味わってみたいと思います。

 常に酔っていなければならぬ。すべてはそこにある、これこそ唯一無二の問題である。君の肩をめりこませ、地上へと身を傾がせるかの「時間」の怖るべき重荷を感じないためには、休みなく酔っていなければならぬ。
 しかし、何によって? 酒であろうと、詩であろうと、徳であろうと、それは君にまかせる。ただひたすらに酔いたまえ。
 そして時あって、宮殿の階の上に、土手の緑の草の上に、君の部屋の陰鬱な孤独の中に、君が目覚め、陶酔の既に衰え次第に消えて行くのを感じるならば、訊きたまえ、風に、波に、星に、鳥に、大時計に、すべての逃げ行くもの、すべての欺くもの、すべての流転するもの、すべての歌うもの、すべての口を利くものに、今は何時かと訊きたまえ。そうすれば、風も、波も、星も、鳥も、大時計も、直ちに君に答えるであろう、『今こそは酔うべきの時だ! 「時間」に酷使される奴隷となり終わらぬためには、絶えず酔っていなければならぬ! 酒であろうと、詩であろうと、徳であろうと、それは君にまかせる、』と。

わたしたちは、何かに酔っているのでしょうか。全く酔わずに生きている、という人はいないのではないでしょうか。教会においてもわたしたちは讃美歌の音楽に酔い、オルガンの響きに心癒されているのです。例を挙げれば、コリントの信徒への手紙を読みますと、悦びに酔いしれ、異言を発することに熱心なコリントの教会の姿を見ることができます。コリントという街は、ギリシャ神話の神々の神殿が建てられ、多くの参拝者が集まるところでした。この、「陶酔に浸る」ということこそ神の喜びである、と考えられ、改宗して間もないコリントの信徒たちは、ギリシャ神話の神々を礼拝するときと同じように、陶酔し、異言を発して悦びに浸ることに熱心だったのです。本日最初に歌いました讃美歌21の303番などは、歌うに心地よく、ひとときの陶酔と癒しを感じた方もいらっしゃったのではないでしょうか。しかし、教会に集う恵みに与った聖霊の働きは、そのような薄っぺらなものではない、と、はっきり言うことができるでしょう。

2. 本当の死者は誰なのか


 では、何故はっきりとそのようなことが言えるのでしょうか。本日お読みしましたコロサイの信徒への手紙で使徒パウロが「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから」と語っているように、洗礼によって信仰を告白し、または、幼児洗礼を受け、信仰告白式において信仰を告白することによって、これらの人たちは主イエス・キリストの死と復活との贖いの御業によって、一旦死んで、よみがえらされているのです。本日の葬儀において、肉体が死んだ一人の兄弟を覚えてわたしたちはこの場に集っているわけですが、本当は、彼が新しい肉体を持って復活する準備が整った者なのであって、ここに集っている会衆の中のクリスチャンの人々のほうが、むしろ本当の死を経験した者たちなのです。
 さて、ここに集った方々には、結婚式のチャペルには行ったことがあっても、葬儀は今まで仏式でしか参列したことが無かった、教会の葬儀は初めてだ、という方々も多いかもしれません。魂が天国へ行けますように、と「ご冥福を祈る」という感覚に慣れ親しんだ方々にとって、本日お読みしたエゼキエル書の幻のように、新しい肉体をもって復活する、という信仰は奇異に映るかもしれません。しかし、この信仰こそ、イエス・キリストが十字架にかけられて死に、三日目の朝に体をもってよみがえった、という聖書の記述と直結しているのです。イエス・キリストという人は、自分の力で復活した、とキリスト教の事を捉えていらっしゃる方も多いかもしれません。正確に言うと、それはキリスト教の信仰の内容とは違っているのです。イエスはこの世界の全てのものを創造した父なる神に、復活させられたのです。クリスチャンが新しい肉体を持って復活するという希望の信仰は、この父なる神にイエスと同じように復活させられることを望んでいるのです。

3. 人生の目的


 さて、それでは、人生の本当の目的はいったい何なのでしょうか。人間は他の動物のように、生まれて、子孫に自分のDNAを繁殖させるためのただの乗り物なのでしょうか。聖書には、最初の人間、アダムを土から造り、神ご自身の息を吹きかけられた、そのことによって人間は生きるものとなった、と記されています。神の息とは何のことだろうと思う方々も多いかもしれません。わたしは、この「神の息を吹き込まれた」ということを、言葉を使うことのできる者とされた、というように解釈したいと思います。今日の進化学において、わたしたちホモ・サピエンスはネアンデルタール人とおよそ20万年前に枝分かれし、つい2万数千年ほど前まで共存していたことがわかってきました。ネアンデルタール人が絶滅した理由は、その骨格のゆえに、言葉を自由に話せなかったことにあり、集団で声を合わせて狩をするホモ・サピエンスの繁栄に押しつぶされて絶滅したと考えられています。聖書の中のヨハネによる福音書の冒頭では、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」と記されています。私たち人類は神の属性である「言葉」によって、他の動物と区別され、神のものとされているのです。わたしたちの人生の目的は、自分が神のものであることを知り、「命の書」と聖書に書かれている、永遠の命への招きに答えること、この一言に尽きるのです。

祈り


 救い主キリストの父なる御神、あなたは計り知れない恵みを持って、伊藤兄弟の名を命の書に書き記し、あなたの許へと召してくださったことに感謝します。この葬儀に集った者たちに、一人ひとり主が語りかけてくださって、あなたへの信仰の道へと、導いてくださるように切にお願いします。この感謝と願いを、主イエスキリストの御名によって御前にお捧げいたします。アーメン。



讃美歌21 575

(前奏)

1.
球根の中には 花が秘められ、
さなぎの中から いのちはばたく。
寒い冬の中 春は目覚める。
その日、その時を ただ神が知る。

2.
沈黙はやがて 歌に変えられ、
深い闇の中 夜明け近づく。
過ぎ去った時が 未来を拓く。
その日、その時を ただ神が知る。

3.
いのちの終わりはいのちの始め。
おそれは信仰に、死は復活に、
ついに変えられる 永遠の朝。
その日、その時を ただ神が知る。

アーメン。




主の祈り


天にまします我らの父よ、願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに会わせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。


頌栄 讃美歌21 26


(前奏)

グロリア、グロリア、グロリア、父と御子に、
グロリア、グロリア、グロリア、聖なる霊に。


祝福派遣


主のみ顔をあなたに向け、あなたを護られるように。主のみ顔があなたを照らし、あなたに平安を賜るように。主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。アーメン。


献花





後奏