進化論について



 人間と恐竜が同時代を生きていたことはありません。恐竜の絶滅は約6500万年前、人類の誕生は約400万年前です。聖書は神の霊感によって書かれたもので、聖霊の働きのもとに読むとき、初めて真実の言葉になるのであって、科学の発見を否定する言葉ではありません。科学の成果を認めつつ三位一体の神を信じましょう。
 創世記に書かれた天地創造の中で中心となる教えは、「全能なる父なる神がこの世界をお造りになったこと」「安息日を設けられたこと」「男性を女性より上位のものとされたこと(これは現代に通じるかどうか、あえてコメントしません)」「人間は生まれながらにして罪人であること」だとわたしは思います。「善悪を知る樹の実」を食べて、神に隠れているのを見つけられたとき、男は女のせいに、女は蛇のせいにしました。わたしはそこに原罪を感じます。
 また、「ノアの箱舟」については、創世記が書かれた当時、ユダヤ人をはじめ、多くの諸民族の間で、伝承されてきた神話であると聞いたことがあります。
 すべての生き物はDNAを持っています。現在生きている生物の中で、人間に最も近いチンパンジーは人間のDNA配列とわずか1%しか違いません。
 そして、1万年ほど前までクロマニョン人とホモ・サピエンスとは、共存していたのです。クロマニョン人が絶滅し、ホモ・サピエンスは生き残った理由は、現在「クロマニョン人の骨格を調べるに、あまり、言葉を発することができなかった。そこでコミュニケーション能力の高いホモ・サピエンスが生き残った」という説が有力です。
 わたしはビッグ・バンに、創世記1日目の「光よ。あれ。」を、この「言葉」によって他の生物と分けられた、ということに、ヨハネの福音書1章1節を覚えずには居られません。
 「何年前」というのは、地質学から計った数字ですので、年代が大きくずれることもあります。
 オルドビス紀(5億年前)は、恐竜が跋扈する前、「何々類」と現在の区分にないような、多種多様な生物が繁栄した時代です。人間のような足跡を残す生物もいたかもしれませんね(^^)
 わたしは、バイオサイエンスの学科で学んだ者なので、進化論を否定せずに信仰を持っています。ビッグバンが100~150億年前、地球の誕生が45億年前、生命の誕生が40億年前。まだ地表が冷め切らず、熱かった時代に、最初の生命が誕生しました。単細胞生物には3種類あります。ひとつはバクテリア(細菌)です。もうひとつは「古細菌」と呼ばれるもので、今でも40億年前の地球のような環境、つまり、温泉などで生きています。最後に挙げられるのが、真菌です。イーストや水虫を起こす白癬菌(はくせんきん)やカビ、といったものがが該当します。リン・マーグリスは、古細菌の中にバクテリアがミトコンドリアとして入り込んで真菌ができたという学説を発表し、多くの科学者に支持されています。このミトコンドリアを持った真菌が多細胞化し、植物や動物になりました。また、植物はラン藻をも取り込み、葉緑体としています。
 その後、生命は二度の大絶滅を経てきました。それがオルドビス期の終焉と、恐竜の絶滅です。恐竜の絶滅は、地球に巨大な隕石(彗星)が落ちて、生命圏=バイオスフェアが、大きく変わったのだといわれています。
 わたしのバイオサイエンスの学科の卒業研究テーマは、箱根の大涌谷から採取した古細菌、テルモプラズマ(Thermoplasma)に、細胞骨格があるか、ということでした。再現性がなかったので、大論文にはなりませんでしたが、テルモプラズマには「細胞骨格があるらしい」という結論でした。細胞骨格は細菌にはなく、真菌や動植物にのみあると考えられてきたものです。わたしの研究はリン・マーグリスの仮説を支持する結果になりました。また、このテルモプラズマは、環境が悪くなると細胞同士が凝結し、一種の「多細胞化」が起きるのです。
 というわけで、ダーウィン進化論より、リン・マーグリスや、『利己的な遺伝子』で知られる、リチャード・ドーキンスの学説を支持するわたしですが、科学については論駁しても、信仰に対して論駁するつもりはありません。

わたしの葬祭論




  さよならが 言えなくて

さよならなんて、言えやしないよ。
だってあなたは、戦友だから。
同じ時代を、闘い抜いた。
遺されたまま、わたしはひとり。

あなたはいつも、言っていたよね。
遺灰を海に、撒いてほしいと。
葬式は嫌、そう言ったよね。
わたしは敢えて、そうしなかった。

何かしないと、生きてゆけない。
葬式もした、墓にも埋めた。
四十九日、一回忌もね。
三回忌もした、十三回忌。

儀式のたびに、あなたを殺す。
ワインの澱に、鎮めていくよ。
あなたを離れ、生きていけます。
一つ干支の輪、廻る頃には。

だからお願い、この七回忌。
生前のこと、ほじくらないで。
ただ酒飲みの、席にしないで。
配膳したら、泣けてきちゃって。

今日の今日まで、知らなかったよ。
こんなに深く、愛してたとは。
それかあなたを、美化しすぎかも。
わたしは記憶の、あなたが好きで。


キリスト教は宗教か




 「我考える、故に我あり」で有名なデカルトは、全てを疑っても、人間が人智を超えるものを想像し造りあげることはできない、として、神の存在証明を試みました。これは、後にカントにより「人間は、人智を超えるものを想像し作り上げることは可能である」と証明され否定されました。ニーチェの「神は死んだ」という言葉も有名です。
 分子生物学者、リチャード=ドーキンス博士は、ダーウィンの進化論を論駁し、著書『利己的な遺伝子』の中で、「進化は種の進化ではなく、自然に起きるDNAの複製のミスが、たまたまその遺伝子の複製にとって有利である(つまり「種」ではなく、そのDNAを運ぶ乗り物(個体)が子孫をより多く増やすこと)場合において淘汰=進化が起きるのである、と述べています。彼はその本の中で「DNAでなくても、人間を媒体とし、複製されていく情報があり、それを遺伝子(gene)になぞらえてミーム(meme)と呼ぼうではないか」と提唱しました。この提案はまさに自己増殖するミームとして広まり、「ミーム論」という一つの学問さえ生ずる結果となり今日に至っています。そこでは宗教は「(信者を増やし)自己増殖する教え」という一つのミームとして位置づけられ、常識となっています。
 わたしは、宗教の2本柱は「ご利益(現世でも来世でもどちらでもよい)」と「この教えを広めなさい、という教え」であると考えます。また、宣教を必要としなくても、例えば般若心経のように、自己の心を鎮め、心のなだめを得る教えは、誰から薦められなくとも、世に広まるのです。例に挙げた般若心経については、宗教だという人もいれば、哲学だという人もおられます。それはミーム論においてはどちらでもよく「哲学も宗教もミームである」と、されています。
 わたしはプロテスタントのクリスチャンですが、このミーム論において、「キリスト教もまたミームである」とされることに、いささかの不満もありません。とこしえの命が約束され、主の十字架による罪の赦しの信仰による愛と平安があります。キリスト教は来世においても現世においても「ご利益」がありますし、マタイの福音書28章の巻末にあるように、

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

と説かれ、宣教を是としています。これにおいて「キリスト教はミームではない」とは言えません。
キリスト教は真実であって宗教でないという方もおられるようですが、もし、キリスト教がミームとしての性格を持っていなかったとしたならば、キリストの言葉は宣べ伝えられず、異邦人であり、かつ、時代もかけ離れたわたしたちにその教えは届かなかったはずなのです。まことに、ヨハネの福音書の冒頭、

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにおられた。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。

にある通りなのです。この「ことばである神」とは、すなわちイエス=キリストのことを指している、というのが、神学において定説とされています。
 ことばである神、イエス=キリストの福音は、言葉によって宣べ伝えられ、印刷技術が進んでからは「聖書」として、神の言葉に触れることができ、今日に至っては、英文の聖書を、無償にしてPDFでダウンロードできるまでになっています。
 聖書に立脚したキリスト教の真実は、宗教というミームの形をとって、宣べ伝えられました。キリスト教は真実であり、宗教という形式のミームとしてわたしたちのもとに届いているとわたしは確信しています。信じるから「真実」なのであって、異教徒や無神論者にとっては真実とは受け取られないのは当たり前のことです。彼らと論議しようとも、キリスト教が真実か否かは、まさに、卵が先か鶏が先かの、水かけ論になってしまうのです。


心安らかに




Peace I leave with you, my peace I give unto you: not as the world giveth,
give I unto you. Let not your heart be troubled, neither let it be afraid.(John.14:27)

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)

 この、英語の文語訳の一節には、忘れがたい思い出がある。大学の混声合唱団で歌っていた頃、学生指揮者のM先輩に「小アンサンブル大会で指揮をしてみないか?」と誘われ、わたしが選んだ曲の歌詞がこの文語体聖書の一節だった。M先輩もわたしの指揮で一緒に歌った。M先輩のステージは、練習では最後までかなり苦労した。しかし、年末の演奏会では、何かが降りたかのように生き生きとしたいいステージになった。
 M先輩の心の中は、はかりようもないのだが、年が明けて1月の末、彼は合唱団の部室で遺書を書き、高層棟から身を投げたのだった。彼の遺書は、親友によって読まれ、何か書いてあったのだろう、わたしに、部室のライプラリのどこを探してもないから、教会合唱団が歌ったその曲のカセットを持っていないかと訊かれ、家にあったカセットをM先輩の親友に渡した。
 キリスト教式での葬儀が終わって数日後、わたしが部室のオーディオを見てみると、カセットデッキに、コピーしたその曲のテープが入ったままだった。見た瞬間、胸が凍りそうになった。
 "Peace I leave with you" つまり「わたしは、あなたがたに平安を残します」という歌詞の曲を聞きながら、覚悟を決めたM先輩は、平安の心で逝き天に召された、とわたしは痛切に信じたい。


人と樹と




 人は樹を切り倒し、宅地にしたり、道路を作ったり、焼いて畑にしたりと、共存共栄が難しいように思われがちだが、東京近郊の「武蔵野の森」は江戸時代、資源循環型社会のもとで育まれてきたものだという。
 既に100万都市になっていた江戸の都では、人の排泄物を汲み取りに来る商売があったという。何で稼ぐかというと、近郊の農家まで運んできて肥料として売っていたのである。
 そうして少しずつ土が肥え、荒野だった武蔵野は、人の手が入るところでは雑木林になり、人の手が入らないところではいわゆる「鎮守の森」となったのである。都市と森とが共存できていた時代が現実にあったわけだ。
 わたしは、排泄物は水洗トイレで下水管に流し、プラスティックの容器に綺麗に収まった食料を食べている。毎日ごみ袋を一杯にする、プラスティックごみの多さには、辟易としている。
 江戸時代の社会に戻ることはことはできまい。わたしも「便利な生活」に慣れきってしまっている。しかし、環境をうたい文句にした「商品」の浅ましさに、これまた辟易している自分がいるのである。
 ISO14001がどれほどの効果があるのかわたしは知らない。京都議定書に超大国アメリカは批准すらしていない。「人類のため」では、絶対に環境は守れない。「悪貨は良貨を駆逐する」からである。自分が環境を守ろうとしても、反対に環境を破壊する人がいれば、環境に配慮した人の努力が報われないからだ。人間は賢者なのか愚者なのか。わたしには後者のような気がしてならないのだ。


ノーマライゼーションの地平に




 駅などにある黄色の凹凸タイルや、エレベーターの取り付け工事。これは誰もが目にしている光景だろう。同じく駅の話だか、ホームで知的障碍のかなり大きくなった我が子を母親が懸命にサポートしている姿を見たこともあろう。
 障碍の中で建築物として一番配慮が簡単なのは身体障碍。ハートビル法が改正され、公共施設にこういう改良工事を行うことが増えている。それでも、車椅子で生活しているケアセンターに、わざわざ凹凸タイルを張らなくてはいけなかったりと、法律では融通が利かない面が多いのが現状である。
 駅のホームで見かける知的障碍の子と母は、おそらく作業所と呼ばれる施設に通っているのであろう。そこで行われるのも一つの技術の習得であり、また、一定規模以上の事業所は一定の割合の障碍者を雇用しなければならないので、それに見合った簡単な作業を学ぶのがこういった作業所なのである。
 精神障碍者は一見してもそれとわからない場合が多い。わかったほうが良いというものではないが、身体障碍、知的障碍、精神障碍すべて、障碍者として認められており、一定規模以上の事業所は一定の割合の障碍者を雇用しなければならない。
 法律を作るのは簡単だが、どのようにしてハンディキャップを持った人を適材適所に充てられるか、ということは、事業所としても、難しい問題の一つである。これは私見でしかないのだが、大きな会社に行っても、障碍者たちを目にすることは、極めて少ないと思われる。つまりは障碍者は裏方にまわされているのが現状なのではないかということだ。
 実体験に基づいて設計する、車椅子使用者の建築家。視覚障碍や聴覚障碍を持った、設備デザイナーやアドバイザー。精神病を克服してなった精神科医やカウンセラー。決して誰もがなれるわけではないが、こういった道にも門戸が開かれているのが、ノーマライゼーションの地平なのではないだろうか。スティーヴン・ホーキング博士や乙武洋匡氏、星野富弘氏が「特別な存在」であってはならないのだ。


覇権国家アメリカの没落




 村上龍は『希望の国のエクソダス』という本の中で、「国家に必要なものは通貨とエネルギーである」と言っている。本当にその2つで国家が成立するかはともかく、世界経済はドル中心で動いているし、あり余る軍事力使って、アメリカが中東を押さえ込もうとしているのは事実。
 市況はここ数年ユーロが上がりっぱなしで、ドルと円は、一進一退、ユーロから見れば、共に値を下げている。
 当分の間、アメリカに代わる覇権国家は出て来そうにない。ところで、アメリカと中国は京都議定書を批准していない。この2大国が二酸化炭素を大量に吐きだし続けている限り、地球温暖化は、避けられない。
 アメリカの覇権はいつまで続き、次の覇権はどこが握るのか。通貨として最有力なのはユーロ、ではエネルギーはどこが押さえるか。アメリカは膨大な核を保有しているが中東を押さえるのに核は使えまい。すると中東を押さえる核以外の軍事力を持っているのは実は中国なのだ。中国は、したたかな外交、国内を抑える政治力を兼ね備えている。ただし、通貨の元は弱い。
 そうすると、少し先が見えてくるのだ。「世界の警察」アメリカがいつまでも中東を押さえられるとは思えないし、ドルは対ユーロで価値が下がる一方。アメリカの覇権にかげりが見えたとき、ユーロ圏から資金を調達した中国がアメリカに最終戦争を仕掛ける。ハルマゲドンは核ではなく、通常兵力で勃発しそうなのだ。

 未来の子供たちのために、いったい我々は何が出来るのだろう。


障碍者に「かわいそう」はありえない




 あなたは鬱病をかわいそうな病気だと思っていませんか?鬱になった原因、仕事で無理しすぎた、とか、介護に疲れた、そういった原因はかわいそうかも知れません。しかし、この鬱を治そうと思って精神科に通い始めた人は、かわいそうな人ではないのです。
 『五体不満足』で有名になった乙武洋匡氏をかわいそうだと思いますか?思わないですよね。それは彼が社会的に成功したことではなく、彼は親や友人から、かわいそうとか、奇異の目で見られることなく、卑屈にならないで立派な人格者になったからこそかわいそうではないのです。
 次に電車の中やプラットホームで知的障碍の子供を介護しながら一生懸命に付き添っている母親たちを見てかわいそうだと思ったことがありますか?正論を言えば、知的障碍者も介護している母親もかわいそうではないのです。なぜなら、知的障碍者はありのままの自分で生きているだけであり、母親は子供を愛しているからこそ外に連れ出しているのであって、かわいそうとか、奇異の眼で見られることほど屈辱的なことは無いからです。
 ところで、手話で「人権」ということをどういうポーズで表現しているかご存じでしょうか。左手で右腕を掴み、右腕に拳を上げて二の腕にこぶを作るポーズを取るのです。これは「生きる力」を表しています。障碍者にとって、人権とは「生きる力」なんです。
 精神障碍も例外ではありません。かわいそうだとか、頭がおかしいとか言われるのは、障碍者にとって「ああ、自分はかわいそうなんだ」と思わせてしまい、その人の「生きる力」を、削いでしまうことになるのです。
 精神科医も患者も人権に対して知識が乏しく、多くの病院やクリニックで「かわいそうな眼差し」で見られている患者が多くあるかもしれません。本来、医師、患者双方の人権意識を高め、偏見のない治療がなされるべきであると、わたしは思います。
 患者が人権意識を高めたら、余計に医師に対して怒りをもつのではないかと思われるかもしれません。それでいいのです。怒りも「生きる力」の一つなのです。鬱で自殺する人は、おそらく絶望感と「死ななければならない」という強迫観念に駆られて自殺するのではないかと思います。怒りという「生きる力」がある人は自殺なんてしません。


作品としての公営住宅って?




 今のわたしの職場(家を建てるときに役所に申請を出す書類を、審査する仕事)では、よく建築関係の雑誌が回覧で回ってきます。そんな中の昨日の出来事。  「有名集合住宅のその後」という特集が載った建築雑誌が回覧されました。内容は公営住宅などでコンペをし、有名建築家が勝ち取ったデザインで建てられた「作品」が、その後どのように使われているか、どんな暮らしにくいところがあるか、といったものでした。
 「有名建築家」は自分の作品を世に出して、最先端のデザイン(こんな住宅があっていいではないでしょうか、わたしはこれが最先端のデザインだと考えます、といったもの)を建築家や建築家を目指している人たちに向けて専門誌に発表しています。ですから、わたしは、「作品」がどのように住みにくいか、という雑誌の取り上げ方は、その住宅がもともと住みやすいことを目的とした建築ではないので、作品をけなす事を目的とした悪意に満ちたナンセンスなものだと思っています。
 しかし、毎日「普通の」住宅やビルなどの図面や構造計算書を審査しているわたしの職場(特に今わたしがいるセクションは建物の構造が安全かどうかを審査する部署)では、誌面に載った有名建築家である妹島和世さんが設計した県営住宅などを見て、「避難階段が上から下まで(折り返しの無い)鉄砲階段になっているなんて、子供が遊んだら怖いよね」とか「構造はどうなっているんだろう」とかいった声が聞かれました。ついつい、わたしは「妹島さんはこの建築で賞を取るかも知れなかったんだけど、批判もあって別の作品で賞を取ったんですよ」とか「この建物は薄肉ラーメン構造(柱や梁が無く厚めの壁と床の鉄筋コンクリートで出来た構造)なんです」とか、ちょっと口を挟んでしまいました。
 これは別にわたしが物知りなのではなく、大学の卒業研究の時にその世界では有名な建築家の研究室に劣等性として在籍させていただいただけなのですが、逆に同僚がそういった建築家を知らなかったことに軽くショックを受けてしまいました。きっと多分、大学をデザインの研究室で出て、社会に出て構造を専門にしているわたしのほうが珍しいのでしょう。
 ついでに、役所と言う立場から公営住宅を述べさせていただくと、主に収入が乏しい市民向けに安い家賃で住まいを提供するという役目を担っており、大概予算が少ないために、デザイン的にも貧弱な建物になることが多いのです。ちなみにわたしのいる市のそれも、格好悪いです。「役人がこう言った」ということになると問題になりかねないのですが、新しく市営住宅を建てようと市役所が土地を探して近隣住民に接触すると、大抵建設反対の声が挙がります。もちろん市役所は周囲の住宅地の環境に配慮した無難な計画を持っていくのですが。わたしはそういった住民の中に、もしや低所得者が大勢近所に来るのが嫌だという差別意識があるのではないか、と勘ぐりたくなることがあります。
 そんな中、最初に述べたような建築家のデザインによる公営住宅は、予算を勝ち取るためのプロジェクトとして立ち上げられ、建てられているのです。そのようなプロジェクトは公営住宅を公共建築の作品性の高い価値のある建築として残したい、という役所の思惑もあって、長い間、たびたびどこかで造られてきました。それは役所にとっても「作品」なのであって、普段どおり作られるような入居する居住者の便利のための建物ではなく、住民にとっての住みやすさはどこかに放り出されてしまっているのです。プロジェクトを立ち上げた役所も入居する市民の人権をないがしろにしまっているのかもしれません。わたしは公営住宅は普通であって一向に構わなく、作品としての公営住宅というものは建築家のエゴと、それに振り回されてやや不自由な生活をおくる入居者とがぶつかってしまうので、やめたほうがよいのではないかと思っています。作品には作品に住みたい人が住めばよいだけで、公営住宅というものは作品として向いていないと思うのです。
 さて、昼休みの休憩の終わりに、わたしはその話題の最後、「本物の作品には必ずそれを実現させる優秀な構造設計者がついてくるもので、わたしたちのほうが勉強になりますよ。それより中途半端な作品気取りの建物のほうがデザインも構造計画も破綻していて最悪なんです。そういうのが出てきたら構造審査として、徹底的に批判、追及していきましょう」と発言して終わりになりました。


郊外、そして都心居住




 首都圏における郊外の誕生は渋沢栄一がエベネザ=ハワードの田園都市にインスパイアされて、大正時代に構想から実現に移した田園調布一帯に始まる。折りしも1923年(大正12年)関東大震災があり、壊滅的打撃を受けた下町から郊外に住むといった流れにのって、郊外の時代は幕を開けた。この郊外居住の対照的な例として、三軒茶屋が挙げられる。三軒茶屋一帯はまさに震災で焼け出された下町住民が新天地として求めた土地で、「郊外の下町」としての情緒が今に残る街である(駅周辺は再開発で大きく変わったが)。
 東京急行の田園都市開発構想は田園都市線沿線の住宅開発に引き継がれる。当時建設省ではグリーンベルト構想(これもエベネザ=ハワードの田園都市の構想に端を発する)があり、この一帯は開発させずに農村を残す構想であったが、放射状に伸びる私鉄沿線の住宅地開発という構図に、構想は絵に描いた餅なった。行政も多摩ニュータウン構想を皮切りに大規模住宅地開発を主導することになる。
 多摩ニュータウンは当初交通の不便(京王相模原線も小田急多摩線も無く、聖蹟桜ヶ丘までバスが主だった)学校建設の遅れなど、大規模団地先行の失敗があった。この経験を生かし、港北ニュータウンなどインフラ整備先行のニュータウン開発が行われるようになったが、土地価格に反映し、売れないという現象を引き起こした。
 そしてニュータウン建設は終焉を迎え、現在進行しているのは、工場撤退などに伴う工場地帯の大規模マンション建設、六本木ヒルズなどの再開発や横浜関内地区のオフィス需要の低下による高層マンション建設ラッシュといった都心居住回帰である。これは都市と住宅、都市計画法による用途地域といったゾーニングのありかたを再考させるような現象である。
 さて、都市居住は必然的に集合住宅と言うことになる。オフィス街と集合住宅との調和、都心における学校、公園といった施設の整備(もともと地価が高いのでニュータウンより困難)が問題となってくるが、わたしは、都心のマンションを都市計画上問題な施設と考えずに、積極的にまちづくりに取り組んでいく行政や地域社会の知恵が今どうしても必要だと感じている。



HOME