自由と協和

 近頃夜遅くまで、職員室の電気がついているようになった。臨時の職員会議のためである。この中学校では、今までまとまりのある中学校として有名で、教師たちもそれを誇っていた。しかし、この頃「学校を自由にしよう」という言い分で、荒れている生徒が多くなった。
 この学校では服装は勿論、家での生活にも校則が行き届いており、その数は百近かった。そのおかげで、生徒たちの行動を見ていると「あ、あそこの中学校の子だ」と分かるくらいだった。全校生徒550人、さほど大きな学校ではない。
 1982年4月、中学校に入学した山下栄二君は、はじめは目立たない子だったが、2週間もすると先生の話をあきれた顔で聞くようになり、五月になると、放課後、一人で職員室に「校則をなくせ」などと怒鳴り込むようになった。その頃からか、次第に学校が荒れてきた。生徒間の暴力よりも、専ら、生徒と教師間の争いだった。校則をなくすことを目的に、毎日「校則に違反しているぞ」と注意されるたびに、「校則を破ったら絶対不良かぁ」となじったり、暴力を振るったり。注意された生徒は何も反抗しなくても、周りの生徒が容赦しないのだった。そんな日々の中、ある日山下栄二君は、こう切り出したのだった。しかも、相手は校長先生だった。「先生は今までまとまりを作るために一生懸命になって尽くしていらっしゃいました。でも今、僕はこう考えるのです。学校には校則もまとまりも必要ないと。校則というのはまとまりがなくなっている学校で、どうにかまとまりを保とうとして作られたものではないでしょうか。つまり僕は、まとまりが必要なければ、校則も必要ないと言いたいのです。それでは、どうしてまとまりが必要ない、と言うのかとおっしゃりたいだろうかと思いますが、それにはこういう訳があるのです」。
 校長先生は丁寧な口調で自分を怒らすようなことを言う山下君にあまりいい顔はしなかった。山下君は椅子に腰掛けている校長先生の右にぴったりとくっつき、中腰になって、手振りを混ぜて再び説明し始めた。 「それは、まとまりが無くても『協和』で中学校は動かしていけると思うからです。今更心を合わせて仲良くしようと言ったって無理と思われるかも知れません。多分、完全な協和は不可能でしょう。しかし、『まとまり』と違って『協和』の場合は、完璧なものに近づけよう、近づけよう、とするだけでも、十分なのではないでしょうか。勿論、中学校を動かしていける動力として十分なもの、という意味です」。
彼の話し声は、実に小さかった。しかし、心を込めて言っていたので、それはとても大きく聞こえた。本当に心を込めて話すと、その声はどうしても内緒話のような声になるものだ。校長先生は、もう話は終わったと思ってだろうか、「先生も忙しいから。じゃあ」と言って、戸を開け、そのまま職員玄関に行ってしまった。山下君は、開けっ放しの戸からそっと首だけ出してみると、さっき「忙しいから」と言っていたにもかかわらず、校長先生は実にゆっくりと廊下を歩いていた。そして、手振りをつけ、他人に説明しているかのような口ぶりで独り言を言っていた。まるで山下君の話し方が校長先生にうつったようであった。しかし、階段の近くで「あっ、そうだった」と言って駆け足になった。しばらくして近くで車の走り出す音が聞こえた。
――三日後、山下君あてに校長先生の手紙が来た。
「昨日、山下君の話を聞いて、いろいろと教えられる事がありました。完全なものを追い求めてきた私ですが、あの話の『完全な協和は無理かも――。近づけよう近づけようとするだけも――。』で、思わず同感し、今までやって来た子とは、果たして本当にいいことだったのかと、考えさせられました。いいことか悪いことかはまだよく分かりません。
九月二十八日  校長より 」
すぐに返事として手紙を出した。
「『――教えられた』と言っていただきましたが、私が言ったことはすべて、自分に教えられたことを言ったまでのことです。実を言うと私は中学校に入った当初から、まとまりが必要ないということが分かっていた訳ではありません。しかし中学校に入ってまもなく、こういうことを考え出したのです。私は、五、六年生の時、登校班の班長をやっておりました。ぼくが、五年生になりたての時、うちの班には、三人一年生がいたのですが、その時は、とても行儀良く並んでいました。しかし、一年、二年と経つうちに、注意しても聞かなくなり、ほとんど毎日、友達と待ち合わせて登校するようになり、時々しか登校班と一緒に来ることはなくなりました。――これはどういうことを指しているのでしょう、と。私は『規則をつけ、罰則をつけても、それに慣れてしまえば何の効き目もない』ということ示しているのだと思うのです。それで、この学校はこのままではだめになってしまうと思って,『どうにかしろ』といいだしたのです。その時私は、本当に「どうにか」で何の対策も考えていませんでした。だから友達にも、どうしたらいいか聞いてみました。どの友達もその答えはなく、「どうにかしろ」に共鳴するだけで、だんだん校則反対の輪が広がってしまいました。そしてある時、協和に気が付いたのです。しかし、本当のことを言うと、ぼくもできれば完全なものの方がいいと考えている人なので、それにも心から賛成できません。」
 しかし、校長先生は本当に賛成であった。そして、どんどん学校の先生達を説得していった。山下君も、二度と校則づくめの学校にして溜まるかと、時々校長室にも話しに行った。――いつのことだろうか、校長先生は山下君にこう言っていた。
 『君が最初に校長室に来てくれた日、あの時は、車の中でも、君の言葉を思い出しては、口にだしていたよ。』



   『石うすの歌』から

 この物語から考えた事は、この地球上には、時、場所、スケールを問わず、至る所に、「石うすの歌」が有るのではないか、という事です。 なぜをら、明日は今日の続きではない。未来は過去と現在を結んだ直線の延長線上にはない。という事が「石うすの歌」だからです。現に広島も、八月五日と六日とでは、様子が全く違い、その事を物語っています。
 別の所から見た「石うすの歌」として、アインシュタインの例を挙げてみましょう。
『彼を語るのに忘れてはならない事は、原子爆弾の開発と第二次世界大戦後の平和運動です。ちょっと聞くと大変矛盾したような話ですけれど、アインシュタインは、科学と戦争をめぐる苦悩の時代を生きなければならなかったのです。原子爆弾が日本に落とされたことをアインシュタインが知った時、彼はうめき声をあげたという有名な話があります。アインシュタインは、大変な事態になった事を悟って、そういうばかげた事はやめなければらないと、「ラッセル=アインシュタイン宣言」で、
「いろいろな政治的な対立はあるけれども、人類という生物の種が根絶されるような事態を招くような核兵器を持っているということ、これは何事にも優先してやめなければならない。」と熱心に訴え出すのです。(出典:佐藤文隆著「アインシュタインの考えたこと」)
アインシュタインは死にました。しかし原水爆は死にませんでした。今の状況は、
「いろいろな政治的な対立があるから、人類という生物の種が根絶されるような事態を招くような核兵器を持っているということ、これは何事にも優先してなければならない。」
となって、ラッセル=アインシュタイン宣の正反対のことをやっていると言えます。だれから見ても恐ろしく汚く馬鹿らしいと分かるはずの事が、これほどまでに急ピッチで進められているので、遠からず地球に、他の惑星の様に何も無い、いや、汚いものだけだ残り、人類一人として生きていけない時代がやってくるかも知れません。
 原爆のように、願わない事がなぜ起こるのか考えてみます。人は「こうなる方が良い」と思うことを願う訳ですが、それは、自分で選んで決めているのではないでしょうか。とすると人間は「選択」を何回も何回もしていることになります。しかし、一番重要な選択は、生か死かではないでしょうか。生か死なら当然生を選ぶと思うでしょう。が、大抵は死の方を選んでしまいます。というのは、自分を生かそうと願っていて、死の道をたどる事があるからです。今がそのような時なのです。このような事を、放って置くのではなく、もっとこの大事な選択の意味を知るべきではないでしょうか。なぜなら、この選択は、私たちの身の回りにもあるからです。悪口、意地悪、いじめ等も、あまり選択せずにやってしまったり、観念に頼ってしまったりすることから来ているものが、かなり多いのではないでしょうか。この「観念」というのは、ナチのユダヤ人の大虐殺に大きな意味を占めてきたものでもあるのです。
 あの、広島と長崎の原爆も、今の現状も、重大な選択の間違いではないのでしょうか。そう考えると、「石うすの歌」というのは、人の選択の結果だと思えます。何とも選択とは大事な事なのでしょうか。それが至る所にあるのですから。



   刈り取り

 「おやすみなさい。」
と言って、健は布団に入ったが、脈が速くなって音が耳に響いてくるようだった。いつの間にか這い上がってきてしまった。暗い中で必死になって祈ってまた潜った。でもまた脈が速くなった。左胸を手で押さえると脈を打つというより、心臓が震える感じだ。とうとう起き上がってトイレに行った。小便をして戻ってきたが、いまにも、天井から何かが出てきそうな気持ちだった。すぐにそこから自分が出てきた。
 健は今、学校の側の道路に剛と徹といる。三人は、そこの家に、その庭のざくろの木に、その実に目を向けていた。決してそれが、とても食べたい訳ではないが、徹がざくろめがけて石を投げているのを「やれ。」というように見ていた。その石は庭に落ちた。今度は塀に登って取った。中身がよく見えるほど大きく、ちょうど三つに分かれていた。徹は、自分の下着の上に隠して、笑った顔で駐車場まで来た。でも、それを食べたら顔が変わった。特に健は、周りに人がいないか心配しすぎてざくろの皮まで口に入れてしまった。
 この日の帰りになって、重い気持ちでいっぱいになった。首が下を向いて上がらない状態からいつもの「ただいま」という表情に戻すのが精一杯だった。
 健は土曜日に剛の家に行った。健たちが時々気になる守について話していた。守はまだざくろを取る一ヶ月くらい前に仲間を作って悪いことをしようと話したっきり「いやだ。」と言って何も参加していないのだ。絶対に入れて一緒にやらせようと思って二人で考えていた。健は、もし守の味方だったら解決する方法はあるのに――と思った。でも、この仲間を辞めようとはひとかけらも思わなかった。それを考えていたときに剛が、
「歩の空気銃を使うか。」
健は自分の意見も無いから、
「うん」
と言うしかなかった。
 早速、歩の家へ行った。歩は空気銃を何に使うか少しも知らなかったので、健は、果たして貸してくれるだろうかと思った。でも何故か、貸してもらわなければいけないように思えてきた。健と剛は意地でも頼んで貸してもらった。その時ちょうど徹が来た。徹には先に歩むの家に行ってもらった。そして、健と剛は、自転車のかごに本体と、弾が通るパイプの二つに分けられた空気銃を入れた。二つの自転車は、裏道、農道、駐車場を石橋を叩いて渡るようにそーっとゆっくり進んでいった。そして自転車を剛の家のそばに置いて、空気銃を健の背中の中に入れた。少し肩からはみ出した。健は、最初、空気銃を使うとなってからずっと怖かった。今、表通りの人通りのたくさんいる所を渡る。時々ぶるぶるっと震える。それからひと時も気が抜けず体が硬くなり続けていた。
 ようやく守の家に来た。そこには徹が待っていた。
「空気銃でどうやって入らせようか。」
と剛が言った。健が近くの自動車を指差して、
「あのナンバープレートを的にして、当たったら入れることにしたら。」
と言った。それに決まって、守にもそのことを言った。
「もし、当たったらね。」
でも、その声は仕方なく言っていた。本当に守が嫌だったのなら、空気銃を使っても仲間に入れることは無理だろう。悪いことに誘う完全な方法など一つもないのだから、ということは健にも分かっていた。
 まず、剛が撃った。三人はがっかりした。守はホッとした。健が撃った。やはり同じだった。徹が撃った。健は自動車の前で見ていた。
「当たった。」
と叫んだ。守は表情を変えて、懸命に、当たってない、当たってない、と言った。しかし、当たったことになった。
 その後、帰るときには、怖くて体中に力が入っていた。それでとても疲れた。だから寝ようとした時にまで力が入ってしまった。
 健は、今までのことを思い出した。目は、まだ天井を見つめている。そして思わず「ハアー。」とため息をついた。その時お母さんが、
「健。何かあったの。何か悪いことでもしたの。」
と言った。件はもう一度ため息をついた。そして、ざくろのこと、空気銃のことを話した。そうしたら、自分がクラスの人をいじめたこと、年上の女の子をいじめたこと、からかったこと、また、自分がからかわれて喧嘩してしまったこと――が、話している途中に次々に思い出されていった。そして、一つ一つ、言い訳を付け加えずに、取り去らずに話した。まるで、水でいっぱいに膨れた風船がつつかれて割れたように全てを吐き出した。そして、お母さんが、
「じゃ祈ろう。」
と言った。
「神様、今まで僕はたくさん悪いことをしました。どうか赦してください。これからの時、全て改めて、そして、それから離れられるようにさせてください。また、それが早く出来るように勇気、力を与えてください。イエス様の御名によって感謝してお祈りいたします。アーメン。」
そして、お母さんにも祈ってもらった。健は自分がしてきた悪い事があまりにも多いので、自分であきれてしまった。でも、すっきりとしてとても気分が良かった。
 その次の日、学校で守に謝ってきた。また、転校した人にも謝りたい人がいたので先生に住所を聞いてきた。そして、早速手紙を書いた。すぐ郵便局へ行った。走っていた。喜んで走っていた。ポストにポトンという音が聞こえた時、もうこのことで辛い思いをしなくてもいいんだと実感できた。
 それから何日か経って、年上の女の子にも謝りに行った。最初背中と腰の骨が、崩れたようになって座り込んでしまった。その時自分も、年下にからかわれるということは、今、座り込んでしまった時のように力が抜けてがっくりするんだろうなあと思った。また、自分自身、同級生にだが、よくからかわれたことがあった。でも、自分がからかったときには、全然そんなことを考えてもみなかった。しかし今は、全部が思い出されてくる。だから行く、という気持ちで玄関に立った。一回、ぶるぶるっと震えた。ベルを押した。本人が出た。健は、
「からかわれるのがいやだということがわかっていたのにからかってしまってごめんなさい。」 相手は、ものすごくびっくりしていたが、
「私もごめんね。」
と言ってくれた。謝ったら余計がっくりするかと思ったが、逆に嬉しくて、今までよりぴんとたっていた。
 また、ざくろの持ち主の所へ行った。今度は最初から嬉しい気持ちで行った。門をあけて戸を叩いていたら、おばさんが庭から、
「どうしたの。」
と言って出てきた。健は一言一言今までのことを思い出しながら言った。
「ずっと前、あそこの庭のざくろを取ってしまってごめんなさい。」
「うん。うん。」
と、おばさんはうなずいていた。健にはそれが自分を励ましてくれているように聞こえた。行ったときよりももっとうきうきして帰って行った。

 自分の心は畑だ。体はその持ち主だ。持ち主は畑をいつか見張らずに寝てしまった。土地には雑草が生えてきた。ある時、大きな種が畑に落ちてきた。持ち主もそれで目を覚ました。そして、一つ一つ雑草を抜き、根を取り、土の表面と深い所とをひっくり返し、柔らかくして、水をかけ、種を埋めた。そうすると芽が出て育って行った。持ち主はそれが育つのが楽しくて毎日手入れをした。そしてその芽は大きな樹になった。樹の根が畑いっぱいに広がったので、持ち主が死んでも、その樹が畑を支配し、雑草を生やさないようにした。

 しかしもし、
*種が落ち、目が覚めてもまた眠ってしまったら
*目が覚めても雑草を抜かなかったら
*もし抜いても一つ一つではなく、いい加減に抜いてしまったら
*一つ一つ抜いても根が残ってしまったら
*根を抜いても土を柔らかくしなかったら
*土を柔らかくしても水をやらなかったら
*水をやっても手入れをしなかったら

駄目になってしまう。土は心だから、今までやってきた悪いことという雑草を全部取り去り、硬い鈍感な心を砕き、水で目覚めさせることは、とても辛く、痛いことだ。しかしそれをやらねば喜びの樹の実は成らない。このことをやるかやらないかで、持ち主が死んだとき、樹の実か、雑草か、どちらになるかが決まってしまう。拓けた土地のまま、ということは無いのだ。実を成らすのが、畑の持ち主の義務であり任務であり使命なのだ。もし、樹の実が成ったら、その実の作り方を人に教えるのもとてもいいことだ。

人はもし、種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。(聖書)


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